空が零した涙は、地へとぶつかっては身を捻り彼等を削る。
単として降り注げば僅かなる其の音も、止め処なく流れる時となっては縁遠き物。
冬場の冷風によって酷く冷やされた水分は、針を刺すかのような痛みに近い感触を生んだ
体中を細かに刺されつつ、それでも一向に背を向けたまま動く気配の無い彼。
その背中から彼の表情を知る事は叶わないが、然しどのような思いでいるかは程度予想が出来た
彼の強く握り締めた拳からは、空が流すものとは違う朱色の涙。



咆哮



「・・・早く、戻りましょう?風邪を引くわ。」


「・・・君こそ早く戻ったほうが良い。僕は、大丈夫だから。」



ざぁ、ざぁ と。
冬季の寒冷に負ける事無く、かろうじて生き残った木々達は
この涙を天の恵みと受け、己が葉を広げては喜び騒ぐ。
僅かに軌道をそらされた滴は、然し彼の男性的といえど、僅かに細くなった体を掠めていく。
自分の体が震えるのを感じたが、彼をこの暗く冷え切った森に置いて行く事等出来はしない




いっそ、怒りと苦しみを全と出し吼えてくれればどれ程良かったか。



私の言葉に返答した彼の声は酷く落ち着きをはなち、それは低く低く地響きのように聞こえた。
雨が葉を打つ音が止む事無く響いているというのに、彼の声は依然として揺るがない。
いつもよりも更に低く聞こえたのは、恐らく気のせいではあるまい。
もし彼が、内に秘めたる熱を吐き出してくれたなら。
少しでも 苦しい、辛い と声に出して言ってくれたなら。
ふと考えたが、然しそうなった所で自分に何が出来ようか
恵まれた”普通”の中で育った自分には、彼の痛みも悲しみも
そして絶望すら分け合える事が出来ないなど、わかりきっているのに。
これは恐らく自分を求めてほしいと言う唯のエゴなのだろう
野生の猫を頬に寄せるように、唯片方のみが思いを果たす酷く傲慢な物
私はこの瞬間、その塊に包まれている。



気づいてしまった。
この思いは彼への優しさ等では無い。
ならば、私に出来ることなど、何も無い。



相変わらずも止む様子のない雨。
当たり前だ、酷く不機嫌な表情の雲に囲まれたこの世界。突然止む事の方が案ずるべきなのだ。
冷たい感触の中、零れ出そうになる涙を必死で堪えながら、それでもポロポロと零しながら――――
背中を向けたままの彼の名前を呼んだ。僅かに嗚咽の混じった様な情け無い声。



過去遠くとなった雨の日。
雨が好きだ と笑った彼は何処へ消えた?
あの時、子供のようにはしゃいで走った私達は、何処へ
今では最早虹すら見えないのに。



「・・・たくさんの雨でも、もう悲しみは、罪は。流せないみたいだね」


「貴方のせいじゃ無いわ・・・!!」



彼の手は、その滴を掴み取ろうと静かに伸ばされた。
その手の隙間から静かに流れ落ちる天の涙と朱の涙
涙が止め処なくあふれ出たが、この豪雨の中、最早自分の涙なのか天の其れなのか、区別すらつかなくなった。
掠れた声を耳に止めた彼は、ようやく振り返り少し笑顔を作った――然し。
それは見た事の無い程、辛く悲しい笑顔だった。
この人は、誰だろう。
少なくとも、私達と共に数年を過ごした彼では無い。
もしかしたら、私達が気づかなかっただけだったのかもしれないが。



「いつか、必ず。」



そっと、彼は私の横をすり抜け歩き始めた。
僅かに香る彼の匂い。同時にすれ違い様響いた低い声
それは、永久に耳から離れないのでは無いかと言う程、強く切ない言葉だった。






「僕があの女を、殺す。」






僕が、必ず と。
以前に聞いたその時とは違った。
怒り狂い理性を欠いた彼は、半ば衝動的にその言葉を口にした。が
今は違う。
彼は落ち着きを放ち、冷静に復讐を、報復を心に決めたのだ。
それはきっと誰に揺るがす事も出来ぬ大きな芯となっただろう
私達に出来ることなど、もう何もないのかもしれない。
時間が止まったかのように、けれど耳の奥で自分の鼓動の音が五月蝿かった。


私の歩みが始まる事を静かに待つ彼に
それは衝動的に、言った後に悔やむ程に
涙を流し、呟いた。





「きっと、貴方は私を置いていくのね・・・」





ぴたりと、彼の呼吸が止んだのを感じた。
けれど、しばらくすると「行こう」と声を発し、何事も無かったかのように歩を進める。
それはまるで、聞こえなかった とでも言うかのように。
それでも、僅かに震えたその背中から滲む悲しみを隠し通す事が出来なかった。





そっと彼は、雨音で耳を塞いだ。
泥にまみれた世界に、二人分の足跡だけが寂しく残った。
何れもきっと、この涙に流されるのだろうけど










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シリウス死去後の設定で。
とにかく複雑な感情表現を書きたくてやってみました。
実は某作品から続いてます・・・有り得ない程強引に(死)
更にこの後、こっそり続ける気で御座います。

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